世界ミステリーゾーン

ミステリー好きな小学生

私が小学生のとき、小学館から出版されていた、和巻耿介著「世界ミステリーゾーン」という本を買って夢中で読んだ。

その本には、雪男、バミューダ魔の三角海域、UFO、幽霊など現代科学で解明できない謎が超能力、宇宙の謎、大自然の謎、超自然の謎などの章に分かれて網羅(?)されていて、ミステリー好きだった私は何度も読み返した。

また、著者の序文も印象に残っている。「世の中に起こる現象の中で解明されているものは、砂漠に例えればほんの一握りの砂に過ぎないのかも知れない。」確かこんな内容だった。

大事にしていた本だったが、中学に上がる頃には胡散臭いと感じるようになり、捨ててしまった。当時は500円しなかったような本だが今は一部の業者で1万円近くまで値上がりしているようである。

巷にあふれているミステリー話は本当?

その後、自然科学の研究を始めてからは、ミステリーの話を真面目に考えることもなくなり、特に研究室で見つけた「トンデモ本」というミステリー話の実体を暴くような本を読んでからは、ますますミステリー話を信じなくなった。

近年はWikipediaというインターネット上の百科事典が発達し、ミステリー話もそこに詳しく解説されるようになった。読んでみると、多くの記事が比較的客観的に解説されていることに気づく。そしてミステリー話に対して懐疑的あるいは否定的な論調が多い。例えば、バミューダ魔の三角海域に関しては、「他の海域に比べて特にこの海域で有意に海難事故が多発しているというデータはない」という記述がある。

時代が経過するに連れ、実は怪奇現象ではなかったと分かる例もある。一時期ミステリーサークルが騒がれ、NHKでも取り上げられたのを見た事があるが、結局悪戯だったということで落ち着いているようだ。

ミステリー話は全てでっち上げか?

話が事実かそうでないかを調べるときにまず重要なのは、何と言ってもその情報の出所である。例えば、AさんがUFOを見たという場合、UFOが出現→Aさんが発見→ミステリー雑誌に載る→ミステリー本に載るという順序で情報が伝わるはずである。するとミステリー本でUFOを見たという情報を読んだとき、それを確かめる際にまずやるべきことは、ミステリー本に載っている情報の出所を確かめる→ミステリー雑誌に載っている情報の出所を確かめる→Aさんから直接情報を得る、という流れで情報の流れを逆向きに辿ることである。

残念ながら(というべきか)、多くのミステリー情報は、情報を逆向きに辿ると途中で途切れてしまう場合(つまりどこかででっち上げが起きている)や、情報を逆向きに辿るとミステリー現象に関する情報が実はミステリーでも何でもないと分かる場合(つまり情報の誇張や情報に尾ひれはひれがついている)がほとんどのようである。

もっとも個人的にリアリティが感じられる話はいくつかある。

例えば、1972年に介良町で起きたとされる中学生による小型円盤発見および捕獲事件。遠藤周作が執筆したエッセイ「ボクは好奇心のかたまり」(新潮社)に著者本人による中学生へのインタビューの様子が載せられており、どうも中学生が嘘をついているとは思えなかったとのことである。

その他、1999年頃に盛んに報道された岐阜県富加町団地の心霊現象騒ぎ。ミステリー現象をニュースで報道するのはめずらしく、本当に心霊現象かどうかはともかく、何か怪しいことが起きているのではないかと思えた。

ミステリー話はやはりエンターテインメント

現在の私は、信じる信じないは別として、ミステリー話は必ずしも嫌いではない。少なくとも血液型性格判断などよりはよほど面白い。ただ、もちろん科学ではない。

昔テレビで超能力の検証に脳科学者の武者利光先生が出演しているのを見て、びっくりした覚えがある。私の研究室の先輩の元指導教員である。何故こんなところに。。。でも最後は「さらなる検証が必要」と締めくくられ、拍子抜けだった。

研究者同士の夜の飲み会で超能力が話題に出た事がある。研究者が超能力の存在を発表して、あとで間違いだと分かったら、抹殺ものだね、と冗談交じりに語っていた。

ミステリー話が真実かどうかを追究するのは、プロレスが真剣勝負が否かを追究するようなものなのかもしれない。私はミステリー話はエンターテインメント(娯楽)ととらえている。

仮に私が小学生を教える立場で、ミステリー話に興奮した小学生がいたら、かつての私を思い浮かべつつ、興味深く話を聞いてあげると思う。ただ、最後に「情報の出所を確かめなさい」と言うだろう。